共通言語が少なくなっている時代。細分化した社会で人はどう生きていくのか。
2018年の流行語大賞が発表されています。 流行語大賞でチコちゃん登壇! 元NHKアナ「荒々しい言葉が使われているのが新鮮」 俵万智さんの「毎年、流行語という最大公約数を選ぶのが難しくなっている」という言葉が、いつも自分が考えていることと通じていてしっくりきました。 インターネットの普及は、情報を得るための機会を増やし、みなが広く繋がる社会が生まれるのではないかと期待されてきました。ところが、現状ではより細分化された小さな泡のような小集団がたくさん生まれ、その中で仲間に通じる言葉で語り合う、分断された社会になっています。 これは、WEBやSNSで同じような趣味嗜好の人と出会いやすくなったり、コンテンツを用意に再生産できるようになったので、自分の好きなジャンルの外に出る必要がなくなったことが理由だと考えています。人間なら快適な状態に身を置きたいというのは当然の欲求です。 その結果、「国民的番組」と言われるようなTV番組や、同世代がみんな買ったミリオンセラーのCDなどもほぼなくなりました。世代の中でも共通言語がない時代、流行語大賞を見ても知らない言葉が出てきたり、多くの納得感を獲得しづらい時代に変化してきています。 個人としても、企業としても、この状況を客観的に把握する必要があります。最近個人として特に感じているのが、新たな学びを得たり、新しい人と会うことが少なくなってきているということ。快適な泡の隣に飛び込んでみるともっと広い世界が見えるかもしれないけれど、なかなか取っ掛かりがなくて挑戦できなかったり、ついつい後回しにしがちになっています。先日YearCompassを書きながら、「2018年に学んだこと」がうまく書けなかったので、来年は意識的に学びを得るよう機会を設けていきます。 細分化はされているけれど、門戸が閉じられているわけではなく、むしろその気になればすぐにでも学べる環境は整っているのです。ITは能動的に使わないと気づいたら自分の時間が侵食されて終わっている恐ろしいツールでもあります。自分の時間を生きるためのルーティンと、意欲や興味を持った学びをしていく、とりあえず今はこれらで取り組んでいきます。